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音の謎 1

音の認識とバランスの秘密

  音の謎  

可聴周波数帯をはるかに超えたスピーカー・システム、極超低歪率の高性能アンプより、古い電蓄のほうがいい音に聴こえることがある。心のノスタルジーの共感か聴覚上の錯覚による現象なのか、その謎は深い。

都会の雑踏のなかでも、母親は、はるか遠くの我が子の泣き声を聴き分けることができる。音響的に測定すると聞こえないはずのレベルである。名器と呼ばれる楽器は、測定上同じレベルの音量であっても、遥か遠くまで音が通り、多くの聴衆を魅了する。PA用のスピーカーは、同じ音量でも家庭用のものと違って、はるかに遠くまで音がとぶ。音の世界は不可思議である。しかしこの謎を解かなくとも解はある。それは原音である。そう私たちの日常に溢れる、この音こそがリファレンスになる。なるべく多く演奏会にいこう。そして生の音に触れよう。家に帰ってから、自分のシステムの前で眼をつぶろう。あの臨場感が、感動が甦るであろうか。
     
  蓄音機やウエスタン・エレクトリックの時代の音楽といえば、オーディオの音は生演奏と隣合っていた。当時、録音はそれほどには多くなかっただろうし、なにしろ再生装置は、演奏会に一生行けるほどに高価であった。人々は、今よりはるかに多く生の音に接していたに違いない。当然音響装置を開発していた人たちもこの生演奏をリファレンスにして、システムを設計していたのである。ここに古い時代のシステムが現代においても人の心を捉える理由があろう。現代とは、リファレンスが違うのだ。  

 

 
  センサー耳と情報処理脳

音や音楽を聴くということは、実は耳と脳の情報処理のコンビネーション作業である。耳はセンサーの役割をしており、そのセンサーからの情報は、脳で処理されて最終的に判断され音として認識されている。測定器万能の近代では、各種の測定器で音波の実態や音響特性は詳細に分析できるようになってきている。しかしこの基準で設計、製作された最新の音響システムも必ずしも我々に良い音には聞こえるとは限らない。これは人の脳の情報処理のプロセスの考慮不足が原因だろう。人の脳は、耳というセンサーから送られてきた情報を測定器などとは異なった基準で判断し、あるときは不要な情報は無視し、また欠損した情報は補完して判断している。

 
蓄音機やウエスタン・エレクトリックの時代、そう、測定器が進化していなかった時代、生の演奏が再生装置の音のリファレンスだった時代の技術者は、このことを直感的に知っていたと思われる。この時代の再生装置を聴いてみると、その音造りのなかに、あきらかにこの点に着目した設計が見受けられる。
 

私の使用しているシステムは、ほとんどがモニターやPA用などの業務用の装置である。実はPA用の装置は、家庭用の音楽鑑賞用の装置とは目的が違うのである。家庭用の"高級"オーディオ装置は、ユーザーがあり、音楽を聴きたいときに電源を入れてもらえる。つまりこれらの装置は、聴いてもらえるという立場に置かれている、幸せな装置なのだ。PAやアナウンス用の装置はこの点が全く異なる。これら装置は人に情報を伝達することに存在目的がある。聞きたくない人にも、無理矢理にでも情報を伝達しなければならない。聴く気のない人の情報処理脳にアテンションを送り込まないといけない。そのように設計されているのだ。PAでは、音が飛ばなければならない。伝達能力、遠達性が求められる。それでいて、音質が悪くてはいけない。プロは、この装置を使ってお金を頂戴しているからである。音が悪ければ金を稼げない。業務用の器材は聴かせることを目的に造られている。

     
1/1/2004 (7/3/2004改訂) 3/3/2006 再改定